三木の染形紙
江戸期の人々の衣装を彩った装飾美の裏方、三木の形屋と形紙について、それを知る人はまことに少なく、又 三木の染形紙開産の時期については定かではありません。

染形の発生は鎌倉時代と推定されていますが、その工程が確立したのは室町時代で、それに続く桃山時代には小紋等の細かい染形が行われました。江戸時代に入って庶民の衣料は急速に普及した木綿に取って代わり、染形紙は藍染めと共に重宝されました。

三木市宝蔵文書の三木町検地帳の中に、今より322年前、延宝7年(1679)「かたや権右衛門」の名が現れます。 

又、それから612年後の寛保2年(1742)の「三木町諸色明細帳控」に次のような記録があります。

大工140軒 木挽26軒 樽屋48軒
形屋16軒 紺屋26軒 檜物屋4軒
籠屋2軒 鍛冶屋12軒

さらに20年後、宝暦12年(1762)に発行された地誌「播磨鑑」に「紺屋形、三木町ニテ彫之諸方へ売ニ出」と特産商品として唯一点のみ紹介されています。

この様に地方産業として世間から注目されるま迄には、実に長い年月と産業の成長が必要なのです。 寛保2年より76年後の文化15年(1818)には形屋18軒但し旅出之分、外に形ほり職人多御座候と有り、さかんに形紙売りに出た様子がうかがえる。

さらに40年後安政4年には先染職の影響であろうか7軒に減っている。 三木に残る古文書や、形紙銘から形屋商、形彫職人名で現れる人数は70余名に達します。

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