湯の山街道とは

人巧皇后が丹土を求めて歩いた道...
億計王、弘計王の二王子が辿った道...
源義経一行が密かに一ノ谷へ駒を進めた道...
戦国時代に軍馬が駆け抜けた道...
秀吉が有馬の湯を求めて通った道...
赤穂の早駕篭が駆け抜けた道...



 三木より有馬(旧称湯の山)に通じる街道を湯の山街道と呼び、その距離は七里と言われています。
 この道は元々西国道の一部であり、三木より四方に分岐しますが、主道は姫路街道に繋がりました。
 この街道には大きな川越えの難儀も無く、確実に歩める道で、長い道中の憩いの場として有馬入湯が有り、山を下れば拓けた猪名野、そこは京、大和に近かったのです。



 湯の山街道の命名は、後の豊臣秀吉が2年に及ぶ三木合戦中や、播州最初の城下町造り三木復興に携わる間に度々有馬の湯に通い、道路整備した事によると伝われています。


 ギャラリー湯の山みちは、歴史街道と認定された湯の山街道の起点旧三木町の東入口に近く、今も格子戸造りの家並みを残す町筋に有ります。

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